しののめ雑記帳

思考の袋小路

オーバーラン

うっかり寝てしまって変な時間に目が覚めたけど、もうそろそろ寝ないといけないので今日はなし。グッナイ

 

…「Gunnnai」だと「グンナイ」になっちゃうのか。ちょっと違和感を覚えてしもた。

 

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ちょっと追記

 

明日は大雨の予報だけど、今はまだおとなしい空模様。嵐の前のなんとやら、というところだろうか。

あすけんのアレ

先月あたまくらいから長いこと放っていたあすけんへの記録を再開し始めまして。

 

なんとなく効果が出ているように思えます。

あすけんの宣伝をするわけではないのですが、効果としましては

「記録が面倒だから食事量が抑えられる」

「記録後許容量をオーバーしそうになるとブレーキが利く」

「なんだかんだで”見える化”というのは強い」

「画面上でも褒められるとなんとなくうれしい」

 

と結構色々あったりします。私としては去年増えた5㎏ほどを半年かけて落とせればいいかなー、くらいの感覚なので気楽ではあるんですよね。とはいえ目方が増えるのはあまりありがたくない。

ひと月1㎏落とすことができれば年に12㎏落ちるわけで、これくらいの長い目で見ることが目標設定では大事ではないかな、と。

なかなかうまく行きませんけどね。

 

うまく行かないときに上手に立ち回れればいいのですが、なかなか。

 

まっ、ぼちぼちやっていきましょう。

 

後半戦

まあ2月があるおかげで1年の真ん中は明日なわけですけど。

 

7月です。はい。

あっという間に半年が過ぎる、ということはあっという間に1年が過ぎる、ということです。まあ年取るとそんなもんですね。20までの1年と40からの1年は明らかに速度が違う。

「やらないといけないこと」が多くなるとその時間は塗りつぶすように時間が過ぎていくので、それが少ない若いころ、というのは時間が有り余っているように感じるのかもしれない。

 

一日をひたすら満喫している人は年を取っても1年が長く感じるのかもしれないけど、そういう人は早く天に召されてしまうのかもしれない。わかんないですね。寿命なんてものは尽きてみないとわからないので、そういうことをあれこれ考えたり、無駄に寿命を延ばそうと思ったりするのは無駄じゃないかなー、と思ってしまうんですよね。延ばした先が暗闇だったら意味ないし。

 

日一日をのんびりだらだら過ごしていきましょうかね。

 

 

エンタテインメント

地道に田畑を耕さなくても食べものにそこまで困らなくなった現代、物を作ること以外を目標にする人が多い世の中になりましたとさ。

 

いやほんとエンタメを志望する人が多い、というのは「歌や踊りでメシを食いたい」という人が多い、ということとそんな違いのないことで、要は物を作っている人から歌や踊りでおひねりをもらいたい、というのと変わらないと思うんよね。極論ではあるけど。人間一度は物を作ることを嗜んだほうがいいとは思うけど、そういうのは一応学校でやるのよね。さわり程度だけど。1年農耕と工作だけで過ごしてみると全然違うとは思うんだけど、そういうわけにもいかんだろうし。晴耕雨読的に、雨が降ったらお勉強、みたいなことができれば…みたいなことも考えたけど、「カリキュラム」というものがある以上そういうあいまいなことはできんのでしょうね。

 

カリキュラムに関してもなんか書けそうかも。

 

今日に関しては「物を作らんのにメシだけ欲しい人多いな」というところで。

 

 

サービス過多

何について書かれた記事か伝わるよう、タイトルをもう少し具体的にしてみましょう
 
ですって。うっせえ。
 
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度々書いているような気がするけど、とかくこの世はサービス過剰。痒い所に手が届かない人に届くようにするようなサービスはいいけど、自分が楽をしたいがために他人に労役を押し付けるようなサービスが多すぎる。「稼ぐ」ということが「最終的に自分が楽をするために他人の為に働く」ということになっている。もっと言うと「他人をだまくらかして自分が甘い蜜を吸う」とか「楽できる仕組みを作ってそれを売る」とかそういうところ。サービス業が2/3を占める現代社会では、いち早くシステムを構築した人が楽できるようになっている。
 
いやー、それどうなん?
と思ってしまうんよね。ある程度は一人ひとりがあくせく働いて、助け合うのがいいんじゃないの?そりゃ一人ひとりできることの大小はあるけどさ。それがすべて「お金」というものに収斂されてしまうと、私の稼ぎは少ないので役に立ってないのでは、とか稼いでいるから偉いとか、「なんか違う」と思うようなことにつながっていってしまうんじゃないかなー、と。人間基本的に衣食住に不自由なければいいと思うのだけど、高度に文明が発達してしまったが故に「余暇」に比重を置きすぎなんじゃないかなー、とか思ってしまったりとか。このあたり思い付きでだらだら書いているので実際まとめようとすると色々広がるところがあるかもしれない。

拘泥

今週のお題「こだわりの道具」

 

…はい。

 

ないなあ。

終了。

 

このパターンはわりと多いのですが、ないものはないのです。「使いやすくて長持ち」すればなんだっていいのです。これがこだわりと言っていいのかもしれないのだけど。

使いにくくてもそれしかなければなんとか使ってしまうのです。新しいものを買うときはたいてい使っているものが壊れるかどうにも使いようがなくなったときです。

こだわり、というものは「こうでなければいけない」という強めの意思によるところもあるのではないかと思われます。その思い込みを崩すと、「なんだこんなもんでもいいのか」と思うこともあるのではないかと。そんなにこだわらなくてもよかったのかも、と。

 

私がこだわりのない人間というだけのことですね。メシも美味けりゃなんでもいい(ただ同じものが続くのは少ししんどい)し、服も変じゃなければいいし、宝飾品には微塵も興味がないからなー。風呂は追い炊きできたら嬉しい、とかそういうところだろうか。

 

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