しののめ雑記帳

思考の袋小路

呪詛

SNSの暗部といいますか、おすすめタブなる光の当たる投稿が流れるところを見ていると、「よくこんなこと書けるな・・・」と思ってしまう罵詈雑言が目白押し。面と向かって同じ言葉を吐ける人がどれだけいるんだろう、という感じ。インターネットというフィルターを通さないとこんな言葉は吐けないんだろうな。

 

王様の耳はロバの耳。

 

あちらは聞かれないだろうと思って誰も聞かれないようなところで叫んでいるのだろうけど、こちらは見られるのを解っているのに吐いているわけで、確信犯的なものがある。いや、吐いた本人は聞かれている/見られていることまで気が回っていないのかもしれない。余計質が悪いか。

 

人を呪わば穴二つ。

 

吐いた呪詛が自分に返ってくることなど当人にはわからないのだろうか・・・いや、わからないから吐いているのだろう。南無三。

 

私もつい悪い言葉を吐くことはあるが、なるべく大きくしないよう小言であり、他人に聞こえないよう気をつけている・・・つもりではあるけど、果たして。

 

 

目分量

夕食に「具材取った分のg数がそのままお値段(100gン百円)ですよ」というお店に行ったんですね。

 

そこにはいろいろな種類の具材が。

私は欲張りというか種類が多いほどいいタイプなので、考えなしに色々いろいろ取っていきます。

 

で、会計に持って行くと「600gです」と。おおう。私の感覚的にはこの半分くらいだったのだけど、確かにトレイは重かった。

結構な額になったけど、初回だしお試しということで。次回からは点数を絞って、程々の会計で済むようにしたいところ。

 

このように目分量というのはあまり当てにならないんですよね。いつも同じ器で同じものを同じようにとるのならだんだん感覚がわかってくるのでしょうけど、一発目というのはどうしても感覚がズレてしまう。これが多くなるか少なくなるかというのは人次第。きっかりできる人は体内時計ならぬ体内秤が備わっているのでしょう。細かな重さの感覚がわかる、というのは普段から精密な仕事をしている、というのもあるのかも。

 

 

瞬発力

先日も似たようなことを書いたけど、私はスロースターターですっと物事にとりかかれず、追い込まれてからなんとかするタイプ。

ぱっとやる瞬発力はないものの、投げ出さない持続力はそれなりにはあるのかな、とは思う。興に乗ると時間が気にならなくもなるし。しかし近頃は集中力が切れやすくなっていてそこまで持続力が保たないこともあってこれが歳か・・・と思うこともしばしば。

 

重い腰が軽くなることはなかなかない以上は重い腰をいかに据えたままにするか、ということを考えないといけない。とは言っても無理にすることもないのでいかに集中力が続くような物事を見つけるか、ということになってくるのかな、と。あとは最初の一歩が面倒なところなのでそこをちょっと無理してでも我慢して進めていくか、というところになるだろうか。

となると、やることの取捨選択が大事になってくるのかな、と。興が乗ってきたら途中で止めるでなく続けていくのもまたアリなのかな、とか色々考える。

 

三大欲求≓本能?

一般的に食欲、性欲、睡眠を三大欲求と呼んでいる。

 

いずれも個体生命の維持と種の存続には欠かせないものである。

 

ふと「欲求とは”逃れることのできない突き動かされる本能”」と言えるかもしれないな、と思ったのだけど、考えていくうちに当たらずとも遠からずなのかな、と。

「これをしないとダメだ」というものが根底にないと各々が好き勝手して簡単に滅んでいくのだろう。寝たり食事をすると成長できるけどそれをしなくてもいいよ、となるとあっという間に寿命が途切れるだろうし、生殖をしなくてもいいけどしないと長期的には衰退していくよ、と。

 

現代の少子化はこういうところに起因しているのかもしれない。野放図な性交渉はそれはそれで滅びの原因(治安の乱れや感染症の蔓延)になるけど、全くしないと新たな生命が誕生せず緩やかに人口が減り滅んでいく。食事も飽食になり食べることに真面目に取り組まなくなる(過食と拒食を繰り返したり)とか、時間に追われて睡眠を削るとかも、似たようなことになるのかもしれない。

サムイ

そういえば先週も一瞬お題が出てたけどスルーしてしまいましたね。

 

さて。

今週のお題「冬の楽しみ」

 

とのことですが、以前書いたように鍋物を置いておいてなんともない季節、というのは有り難いものです。夏場に常温で汁物を置いておいたらあっという間にカビますものね。おでんもまた然り。熱々の鍋物に舌鼓を打てる、というのが冬の至高です。

 

その他にはないのか?というところですが、働くようになってから雪はあまり歓迎しなくなったし、寒いのは苦手。今晩は吹雪になるかも、という話で戦々恐々としております。バスが止まったら仕事休んでいいですかね?

 

寒いときの楽しみというのはほぼ飲食に収束されますね。暖かいものが美味しい、熱燗が染みる、お湯割りもうまい。あと布団か。布団にくるまって温まっていくと愉悦とかそういうレベルでなく、単純に意識が遠のいていくことが至福で、目覚めても布団から出ていきたくなりますからね。

 

布団のまま仕事したいですね、はい。

 

時間配分

私はだらだらしいなので、テキパキこなして空いた時間をゆっくり、という風にはできないんですよね。わりと切羽詰まったときにバババーっとやってしまうほうが性に合っているというか、そこまでしないとできないというか。こういう毎日書くのもだらだらしていたら日が変わって「もういっか」となることも。そう考えるとよく続いているもんだと思う。400字という軽い縛りがあるからこそ楽にできるのかもしれない。逆に文字数に制限をかけないと逆に100~200字で終わることのほうが多くなってしまうと思う。ノって1000字とか書くこともあるかもしれないけど、多分相当少なくなる。

 

「時間がもったいない」と言える人はすごいと思う反面、せっかちすぎるのもどうなのかな、と思ったりも。ゆっくり過ごすことも大切だと思うし何もしないことで得られる事もあると思うけど、この辺りは気性次第でしょうか。

 

どちらにしろ「勿体ない」とはあまり思わないほうが快適に生きていけるのかな、と思います。

 

 

火加減

私は生の野菜が少し苦手。食べられないことはないけど、ドレッシングは欲しい。キュウリなら味噌。

 

せんキャベツより炒めたキャベツのほうが断然有り難い。とんかつの付け合わせならせんキャベツに分があるけど。

 

ゆで野菜、蒸し野菜、炒め物のほうが好み。

それはそうとして、もやしの火加減、というのはわりと繊細じゃありませんこと?あまり火が通っていないとあの水っぽさがダメだけど、くたくたなのもあまり美味しくなく、適度に火が通ってシャキシャキなのが一番美味しい。のだけど、この絶妙な火加減、というのはなかなか難しく、生の感触がイヤな故に火を通しすぎてしまう嫌いがある。炒めるのならまだいいのだけど、鍋に入れると煮すぎてしまうんですよね。あまり鍋に投入しないほうがいいのかも。

 

あとは人参。人参はじんわり火が通ってホクホクなのが甘みがでて美味しいのだけど、その甘みを引き出すのがなかなか上手くいかず、人参特有の苦みにやられてしまうのです。こちらばかりはくたくたに煮るよりなし。

 

 

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